• ai

東京五年生


「焼」より「水」。時々「蒸」。

私の餃子作りは強力粉と水を混ぜて皮を作るところから始まる。皮のレシピはかの有名な「按田餃子」のもので、その日の気分でハトムギを入れたり入れなかったりする。餡は豚ひき肉にニラ、青唐辛子、仕上げにナンプラーをほんの少し。




青唐辛子入りの餡は、大森駅から徒歩10分のところにある中国料理店「大連」の「特製激辛蒸し餃子」からインスピレーションを得た。

皮はモチモチとツルツルの程よい塩梅で、皿の上から餃子が姿を消すまで私の箸が止まることはない。


自家製ラー油入りの「中国餃子」はまだ訪れたことのない我がルーツ:中国を思い起こさせ、私はついつい脳内トリップしながらビールと餃子を交互に胃に流し込んでいく。

《大連の特製激辛蒸し餃子。10個で680円。噛めば噛むほどラー油と肉汁が溢れ出てくる。》



《焼き餃子(上)と茹で餃子(下)。どちらも豚肉を使用しており、旨味がぎゅっと詰まりつつもあっさりとしているので何個でも食べることができる。安くて美味しい、こんな最高な餃子がこの世に2つとあるだろうか。(いや、ない。)》



 


父方の祖父は大陸出身で、子供の頃から我が家で餃子といえば水餃子だった。それが大陸の文化であることは知っていたけれど、中国時代の話を祖父の口から聞いたことはほぼない。


先日、大陸時代をともに過ごした祖父の叔母が亡くなった。わたし自身はあまり会ったことはないが、「子どもの頃は彼女が水餃子を大量に作ってくれたもんだ」と、祖父がよく口にしていたのを覚えている。


身寄りのいない彼女のお葬式は、コロナ禍ということもあり彼女らしくひっそりと行われた。


彼女を知るのは祖父と、祖父の妹、そして私の父だけ。喪服さえ着なかった。


話したこともほとんどない彼女と、私は二人きりで火葬場に向かうまでの数時間を過ごした。戦中、戦後の怒涛の変化の時代を、たった一人で生き抜いた女性。


こんなに近くに、最高なフェミニストのロールモデルがいたのに、その存在に彼女がこの世を去ってからわたしは気づいた。





餃子は「主食」。白米と一緒に食べることはしない。ニンニクも入れない。


水餃子の周りには、いつも家族と笑い声があった。


祖父が教えてくれた大陸の文化は水餃子だけ。彼が幼い頃食べていた、彼女の作る”我が家の味”さえ私は知らない。


それでも私にとって水餃子は大切なアイデンティティの一部だし、私だけのレシピを見つけたい。


そしていつか、祖父に、これが私の水餃子だよって作ってあげようと思う。きっと、必ず。





私が私自身と向き合う時、私と水餃子は切っても切れない関係にある。


どれだけ一部の人が中国を嫌おうと、在日に対してヘイトをばらまこうと、私たちはただ、事実としてここに存在しているのだ。


受け入れるとか、認めるだとかそういうベクトルの話ではない。あなたの目の前に存在しているだけなのである。


私は自分のルーツが誇らしい。まさに私を私たらしめるものであるから。





22歳、東京五年生。<私の味>を探し求めて、今日もひとり都会を彷徨う。





ai






0件のコメント

最新記事

すべて表示

夜明け